算命学は
東洋のリベラルアーツ?
算命学はすでに占いの域ではなく、約3500年の間に継承され続けてきた古代東洋におけるリベラルアーツ(人間が生きるのに必要な古典的教養)のような側面があり、それを運用することにより個人の人生把握が可能となります
今日(こんにち)の占いに投げかけられる言葉に
“当たるも八卦当たらぬも八卦” という言葉がありますが
算命学(万象学)が軍略として重宝された時代は、約500年間に渡り戦争が止まなかった「乱世」であり「生きるか死ぬか」という極限の中で国を統治する、時の権力者によって活用されてきた
当たるか当たらぬか判らぬものに命を賭すことができないという、非常にシビアな背景があり、故に精密な人物分析の技術が発展した裏側の事情がありました
そんな乱世において、時の権力者により実践的な「軍略」として活用され続けてきた技術が、同じく厳しい時代を生きるわたしたちの人生に役立たないはずありません
算命学を活用する方の多くは、厳しい現実の実業界で活躍する方が多く
目まぐるしく変わる社会情勢に加え、日々氾濫する情報戦の中でも、決して変わることのない普遍的な「本質」を見極める力こそ、まさに現代(いま)わたしたちに求められる要素ではないでしょうか?
ここに算命学の技術と、乱世を生き抜いた本質的な思想学がお役に立てることと思います
算命学の歴史
算命学(万象学)の起源は古く
約3500年前の古代中国の「殷-いん」王朝において干支の原型である甲骨文字が確認されており
孔子や老子など様々な思想家が百花繚乱した「春秋戦国時代」において、実践的な軍略として活用されてきた世界最高峰の運命学です
“人を意のままに操る”と言われるその正確さから、中国史において初めて中華統一の覇業を成した「秦」の「始皇帝」により重宝された軍略と言い伝えられています
時の権力者が激しく入れ替わる歴代の中国王朝において、決して変わることなく「門外不出」の「秘技」として表に流出することなく「一子相伝」で継承され、歴史が動くその裏で今日まで活用されてきた歴史があります
このように紀元前の學問であるにも関わらず、今日までその名があまり広く知れていないのは、その様な閉鎖的な歴史的背景があったためです
日本には飛鳥時代(古代中国の隋代・唐代)において
遣隋使・遣唐使を通じて「陰陽五行」などの思想部分は伝来しましたが
直接的な万象学(算命学)の技術が伝わることはありませんでした
そして時は大東亜戦争(第二次世界大戦)後のにおいて
毛沢東率いる共産党の勢力が拡大する中
当時、清王朝の外交官を務めていた第12代継承者「呉仁和-ウーレンフゥ」は
すでに中国国内における万象学(算命学)の存続は成し得ないと悟り
知識階級の大幅な粛清と、多くの焚書が行われた「文化大革命」以前に、ことの行き先を予見し、日本の長崎の寺院に亡命することになります
その長崎において後の第13代宗家である高尾義政少年と
運命的な出逢いを果たすことになります
呉仁和によってその類まれなる能力と先天性を見込まれた高尾少年は
膨大な万象学(算命学)を継承され、第13代宗家を襲名されることになります
後に駒澤大学の仏教科への修学のために、上京されることになるのですが、
在学中に開い他算命学の鑑定所が口コミで話題になり
多くの政財界からの支持を受け、以降華々しくご活に躍されることの結果として
今日の日本いおいて算命学を多くの方が學ぶことができています
わたしを含めた算命学に携わる方は、先人達が決して途切れさせることなく、
時には危険な道のりの中で繋ぎ遺して下さった道のりを決して忘れずに
さらにわたしたちのその先への一助となれるよう、務めを全うする気持ちでおります
History
BC1449-1046 (403年間)
Yig Dynasty:殷王朝
古代中国「殷」王朝のものと思われる亀の甲羅の遺跡に「干支」の「十干十二支」の甲骨文字が出土したため、古代の王による神聖政治が行われていたとされる。
万象学(算命学)の多くの根本思想と占技の原理を、この時代に垣間見ることができる。
※神聖政治:支配者が「神官」と「政治」の役割を一身に担い国家を統治する政権
BC2070-1600 (471年間)
Xia Dynasty:夏王朝
古代中国における、始まりの王朝とされる。
それまでの古代中国における、旧石器時代とは大きく異なり農耕の痕跡が見られる世界有数の古代文明。
その人口は2万人以上と推定され、王族は宮殿を構え、歴代の王による宮廷儀礼が行われてたとされる。またこの頃、龍や蜥蜴(とかげ)鰐(ワニ)を象(かたど)った「形象文字」が使用されており、既にこの頃には原始的な陰陽思想を所有していたとされる。その後「殷」の建国に伴い滅ぼされるが、古代中国の文化の源流がここにある。
BC771-1046 (403年間)
The Spring and the Autumn period:
春秋(約320年) - 戦国時代(約)
厳密には「春秋」時代と「戦国」時代に分かれ、中国史における戦国時代。
古代中国王朝「周」王朝の後半に位置する時代であり、BC771年に勃発した周の東西に分裂する内乱に始まり、大小合わせ200以上の国が互いの国家の覇権争いに加わり、約500年間争いが絶えなかった乱世。
この頃、鬼谷子により算命学の原型である「万象学」が大成される。歴史的に有名な張儀と蘇秦は、鬼谷子の弟子と言われ、張儀はその後「史上初中華統一」をする秦王朝の宰相まで登り詰めるが、秦王(嬴政-Eisei)後の「始皇帝」が万象学(算命学)を中華統一の際の「軍略」に用いたと言い伝えられている。
BC221
Qin Dynasty:秦王朝
秦の王である嬴政(えいせい)が中国史上初の中華統一を果たす。その際の戦術・軍略に万象学(算命学)が活用されたと言い伝えられている(秦の宰相である張儀は鬼谷氏の弟子)
秦の中華統一後に、それまで「王」だった称号を、中国伝説神の神話に出てくる『三皇五帝』に由来し、自らを中国全土を始めて統一する「始皇帝」と称した。
1616-1912
Qing-Dynasty :清王朝
(中国史上最後の王朝)
中国史上最後の統一王朝。1616年に満州に建国され、モンゴル高原を中心とた征服王朝(モンゴル系民族の支配下)
第12代万象学(算命学)継承者であった呉仁和は、当時清王朝の外交官であったため、万象学(算命学)を実際の外交において活用していたとされる。
しかし、毛沢東率いる共産党の勢力が拡大する中で、中国国内における万象学の継承が困難と感じ「文化大革命」勃発以前に、日本の長崎に亡命する。(外交官であったため日本語が流暢だったと言われている)
この時、中国約3500年の歴史の中において、始めて中国王朝外に万象学(算命学)が流出することになり、亡命先において後の第13代算命学宗家となる高尾義政少年と出逢うことになる。
無為自然
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